6月に友達にさそわれて、阿見町の島津に化石を採りに行きました。そこにはびっくりするほどたくさんの貝が落ちていました。ほってみると、いろんな種類の貝やサンゴも見つかりました。これらが化石であると知ってとてもきょう味を持ちました。ぼくが見つけた化石が生きていたころはどんな海だったのだろうと思いました。
方法
① | 阿見町島津・稲敷市伊佐津・印旛村つる巻・君津市豊英で、貝がたくさん落ちている所の30cm四方をほって貝化石を採取し、写真を撮った。印西市木下では観察し写真を撮った。 |
② | 貝化石を歯ブラシを使って水洗いし、かんそうさせた。こわれやすい化石はうすめたボンドで固めた。 |
③ | 標本を作った。 |
④ | 図かん・インターネット・博物館で貝の和名・層位・年代・外洋か内湾かを調べ、採取場所・大きさ・観察結果を書いて撮った写真とともに貝化石表を作成した。 |
⑤ | 生息環境を図かんで調べ、産地ごとに北緯・深度帯・外洋か内湾かを書いた表を作り、垂直分布曲線・水平分布曲線を書いた。 |
⑥ | 産地を比較した。 |
結果
① | 似ている点:どこもN1、北緯35°付近が1番多かった。暖かい海にいる貝のわり合いが多かった。伊佐津と印旛の土の色は似ていた。エゾマテガイは全部の所で出てきた。内湾の貝のわり合いが多かった。 |
② | ちがう点:君津では深い所にいる貝がひかくてき多かった。君津と印旛・伊佐津の土の色がちがった。また、印旛・伊佐津は寒い海の貝のわり合いが多かった。考察島津・印旛・木下・伊佐津は成田層で浅くて暖かい海で、ところどころつめたい海水が流れていた。君津は上総層で暖かく浅い海だったが、深い所が他より多かった。堆積の仕方や環境がちがうので同じ成田層でも土の色や貝の種類がちがってくると考えられる。 島津は潟、印旛・伊佐津は内湾の三角州であったと考えられる。第四紀洪積世のころ、茨城や千葉は、浅くて暖かい古東京湾という内湾であったことがわかった。 |
絶滅してしまった貝 |
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トウキョウホタテ |
ブラウンスイシカゲガイ |