第54回入賞作品 中学校の部
2等賞

14万年間の大地の変動を探る
―電子情報を活用した茨城県南部の地形発達の解析―

2等賞

茨城県つくば市立並木中学校 1年
小室龍仙
  • 茨城県つくば市立並木中学校 1年
    小室龍仙
  • 第54回入賞作品
    中学校の部
    2等賞

    2等賞

研究の動機

 関東平野は平らだとはいえ、僕の家の周辺は起伏に富んでいる。茨城県南部のたくさんの台地や谷、川、湖沼はどのようにしてできたのか。知りたくなった。

研究の目的

 茨城県南部の地形を野外で観察し、ネット上で公表されている国土地理院の各種地図や航空写真、産業技術総合研究所の地質図などを解析することで、地形の形成を地域の地史と合わせて明らかにする。

【実験1】いろいろな地形の観察

 地形図や航空写真などのほか、県内や千葉県、栃木県の各地に出かけて観察した。

◇茨城県南部の地形の特徴

(a)霞ヶ浦や北浦、牛久沼、外浪逆浦(そとなさかうら)など、湖沼が多い。(b)全体に台地や低地が広がり、何段かの平坦面(段丘)がある。(c)台地や低地には、それらを刻む小河川や谷が発達している。(d)谷は幅広く、内部の多くが埋まっている。(e)谷の集合である「水系網」の形状は地域で異なる。(f)低地や台地を流れる河川は蛇行し、三日月湖や池など、蛇行の痕跡がある。(g)大きな河川には、土砂が堆積した自然堤防がある。

【実験2】歴史時代における地形変化の文献調査

 研究の目的は自然現象による地形変化を解析することなので、まずは過去の人工的な地形改変を調べた。

◇歴史時代の地形改変

(a)水害防止工事で、河川の流路が固定された。(b)農業生産の向上のために湖沼が干拓された。(c)江戸時代に利根川東遷事業が行われ、東京湾に注いでいた利根川が現在の流路に変わった。(d)奈良・平安時代には霞ヶ浦や北浦は海とつながる内湾で、上流に多くの湖沼があったが、利根川によって大量の土砂が運ばれ、埋め立てなどが行われた。(e)縄文時代に、平野部に海が侵入する海進(縄文海進)があった。

【実験3】地質時代の地史についての文献調査

 歴史時代よりも古い時代の地層や岩石の形成を地質図で調べ、海進についても調べた。

◇茨城県南部の地質

 表面から地下数m(場所によっては数十m)は「関東ローム層」という粘土質の赤土に覆われている。富士山や浅間山などの火山灰が由来だ。地質は地形と対応関係にある。(a)河川の流路沿いの低地(沖積低地)は、約1万8000年前から現在までに形成された堆積物(沖積層)だ。(b)海沿いの低地は、同時代の砂丘堆積物、(c)低位段丘は約7万年前~1万8000年前の堆積物、(d)台地の大部分は約15万年前~7万年前の堆積物、(e)山地は、5000万年前よりも古い時代の白亜紀~古第三紀の花崗岩やハンレイ岩、領家変成帯の変成岩だ。

◇海進について

 過去90万年間、地球規模では気候の寒い「氷期」と、暖かい「間氷期」が繰り返し起きている。氷期には氷河が形成されて、地球上の海水が減り、海岸線の後退(海退)が起きる。間氷期には氷河が融けて海水が増え、海進が起きる。海進時の海面は、世界的には現在より約10m高く、海退時には約120mも低かったといわれる。
 日本では、14万年前から12万年前までの間氷期に「下末吉(しもすえよし)海進」があり、その後徐々に寒冷化して、1万8000年前から6000年前ごろに再び急激な温暖化による「縄文海進」があった。下末吉海進の名は、関連する地層が確認された横浜市鶴見区の下末吉地域にちなむ。海進時は川の河口部を上流に引き上げ、海退時は河口部の平坦な地形が露出して台地となり、谷も形成される。茨城県南の沖積低地の谷は、縄文海進以降の海退時に形成された。それより高い台地は、その前の下末吉海進、海退に伴う「下末吉期の台地」だ。

【実験4】造成地における浸食と堆積の観察

 造成地で、盛土の雨後にできた小さな地形(微地形)を観察し、水による浸食や削剥、堆積などの特徴を理解した。

【実験5】地形図の判読と解析

 茨城県南部の地形がいつどのようにできたのかを明らかにするため、千葉県や栃木県にも範囲を広げて、地形図を判読した。

《結果と考察》

▽千葉県銚子市の「屏風ヶ浦」では、昭和まで「海食」が進行し、下末吉期の台地が削られていた。▽茨城県東岸の鉾田市大竹からの北部では大地全体が急速に隆起を続け、縄文海進のような海食が今でも見える。海食が進む屏風ヶ浦も隆起している。▽茨城県南部では、下末吉海進時に大規模な堆積が起こり、西側の鬼怒川や小貝川沿いなどで低位段丘がつくられた。縄文海進によって沖積低地が堆積した。下末吉海進の堆積物が縄文海進の堆積物よりも標高が高い所に分布するのは、下末吉海進から縄文海進までの間に地域全体が隆起したからだ。▽下末吉期の台地は県南東の行方市付近が一番発達し、隆起も顕著だ。▽下末吉期の台地は、標高図で明瞭なものは最近の削剥を示し、不明瞭なものは形成後の時間がたっている。▽下末吉期の台地の谷のうち、内部が急峻なV字谷は最近の削剥を示す。▽急峻なV字谷は、茨城県南部では鹿島灘北方だけの陸域に見られる。隆起地域と一致する。▽谷の集合体である水系網は、急勾配の火山では亀裂のような谷が放射状に広がる。勾配が緩やかな所では樹枝状になっている。▽波風が海岸線に平行な高まり(砂丘)をつくる。陸側の河川が高まりを越えられずに、海岸線に平行な湖沼や湿地帯をつくる。▽千葉県・九十九里浜を流れる河川の水系網は、海岸線に対して直角な流れと、平行な流れが組み合わさった格子状だ。▽下末吉期の台地の水系網は樹枝状・平行状・格子状の3つに分類できる。▽千葉県東金市や山武市の樹枝状の水系網は非対称で、傾斜の方向に沿って支流の谷ができた。過去に西側、北北西側が高かった。▽茨城県・北浦東岸の台地の谷が明瞭なのは、最近形成されたからだ。南西に流れて北浦に注ぐのは、北東側が隆起していることを示す。▽霞ヶ浦に注ぐ稲敷市の小野川は、顕著に屈曲している。下末吉海進直後の大地の傾きを示し、相対的に高い部分は南西から西南西、北西へと変化した。▽栃木県さくら市には、日光方面の山地から平野に出た鬼怒川の扇状地がある。▽下末吉海進以降、大きな河川の流路は一定しなかった。鬼怒川は今より東側を流れていた可能性が高い。

【実験6】縄文海進と下末吉海進の解析

 下末吉期の台地の現在の標高は、茨城県南部では30m以下で、東や南に向かって高くなっている。東や南ほど隆起した。下末吉期海進時の海陸境界は関東西側~北側では現在の標高40m、千葉中南部は70m付近とみられ、それだけ当時に比べて隆起したことが分かる。縄文海進時の海陸境界を九十九里浜付近の標高8m、その他は6mとして表すと縄文時代の貝塚の分布などと一致し、やはり縄文時代以降も東南側が隆起していたことを示している。

◇茨城県南部の地形の発達過程と地史

 下末吉海進のころ、県南部の山地を除いた全域が海底に没していた。笠間市から水戸市に至る台地と山地の境界部が海岸線にあたる。その後寒冷化して海退が進み、地域全体が隆起しつつ、下末吉期の堆積物は陸化して台地となった。隆起が顕著な県南東部や千葉県北部では、谷の掘削が進む。隆起の程度は県南西部で30m、東側で50m、南の千葉県中央部では70mに達する。大河川下流域の県南部には流路が変わるごとに段丘が形成された。鬼怒川は東側が隆起することで、西へ移動したと考えられる。縄文海進が起きると、海水準は現在の標高6m(隆起量の大きな東側は現在の標高10m)付近まで上昇した。外洋と接する台地では海食が、内湾では溺れ谷が形成された。東を河口とする河川の勾配は緩くなり、堆積物の埋積で多くの湖沼ができたと推測される。

感想

 研究の1番の成果は、地質や標高、海面変動などのデータを基に、下末吉海進と縄文海進の海陸の境界線を引けたこと。2番目は地形図から水系網の3分類など、地形の発達が見えてきたことだ。さらに茨城や千葉の隆起など、14万年間の複雑な海や陸の動き方を少し読み解くことができ、事件を解決した名探偵の気分だ。

指導について

指導についてつくば市立並木中学校 飯嶋 暁浩

 本研究は、茨城南部の台地、谷、川、湖沼はどのようにしてできたかについて興味を持ったことをきっかけに、実際の地形を観察し、各種地形図、地質図の観察、判読、解析を行うことで、地形の形成過程を、地史とあわせて明らかにすることを目的として始まりました。フィールドでのさまざまな観察と並行して、フィールドでは見ることのできない大地形について地図ソフト上で観察することで、過去の海食の進行、水系の発達、河川流路の変遷などを詳しく解読しています。また、地図ソフト上で標高を変えてそれぞれの標高での地形を確認することで隆起沈降を見積もるとともに、過去の大地形の復元を試みています。この研究は、観察や判読が詳しいことに止まらず、いろいろな情報を集め細かい工夫を積み重ね、目的意識を持って意欲的、段階的に粘り強く進めています。さらなる発展とともに新たなテーマへの挑戦にも期待しています。

審査評

審査評[審査員] 宮下 彰

 本研究は、平らであるといわれる関東平野に自宅があるのに、なぜこの地域は起伏があるのだろうか、と疑問をもち調査・分析したものです。研究は6つの実験を通し、自宅のある茨城県南部などの大地や谷・川・湖沼等の地形を実際に観察すると共に、コンピュータを活用し地形図・地質図の判読・解析などを行っています。そして、蓄積された数多くの資料などを整理し調査・分析した結果として、14万年間におよぶ茨城県南部の地形の発達過程と地域の歴史、現在の地形の特徴などをしっかりとまとめています。さらに、過去の水害防止工事が引き金となり湖沼が大きく変わったことや地域の隆起傾向なども明らかにしてくれました。このように、身近なことに興味をもち、野外観察や文献調査、コンピュータでの調査などを大変細かく行っている点や、自ら地形図を作成して分析を進める点など、研究の方法や方向性がしっかりしており、中学生の研究として大変優れたものとなっています。今後の研究がさらに楽しみです。2等賞の受賞、誠におめでとうございます。

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