小さい頃から恐竜が大好きだ。世界のあちこちで発見されている恐竜化石が、近くで見つからないのはなぜかと思い、3年生の夏休みに化石探しを始めた。しかし県内では見つからず、今年はついに県外の地層を発掘する。
昨年は長野県内の佐久穂町の山中地溝帯(瀬林層)、大町市の木崎層、小谷(おたり)村の来馬(くるま)層で化石を発掘した。今年は群馬県神流町の山中地溝帯、木崎層が属する福井・石川両県の手取層群、新潟・富山両県の来馬層で発掘する。
《山中地溝帯(白亜紀)》
神流町恐竜センターの化石発掘体験で、「瀬林層」(1億1900万年前~1億1000万年前)から、貝の化石がいくつも見つかった。シジミ貝の仲間のコストキレナとハヤミナ、カキの先祖のグリファエラは汽水性の二枚貝で、カシオペも汽水性の巻貝だ。白亜紀前期の神流町は、川の水が海に注ぎ込む汽水性の湾だったのではないか。貝などの生き物が豊かで、恐竜たちのエサ場だった。恐竜化石の発見の可能性が高いのは、魚を食べていたスピノサウルス類、さらに南半球に生息していたマシアカサウルスも、陸続きだったらここまで来れたかもしれない。一番可能性があるのはオヴィラプトル類だ。この恐竜は、口の奥の突起で貝を割って食べていたという。
《手取層群(白亜紀)》
石川県白山市桑島のダム湖「手取湖」のほとりに「桑島化石壁」がある。白山恐竜パーク白峰の「化石発見広場」での発掘体験で、桑島化石壁のトンネル工事で掘り出された岩石(桑島層:1億4000万年前)から多くの植物化石を発見した。ポドザミテス・ライニーとポドザミテス・ランセオラトゥスは現生のマキ科の植物に近く、暖かい気候環境の中に生えていた。高さ20mの木に茂る葉は、竜脚類の恐竜が食べるエサにちょうどよかっただろう。手取層群を代表する植物化石オニキオプシス・エロンガータはシダ類の仲間で、高さが60㎝~1m。オオタリュウやシマリュウ、もう少し背の低いヒプシロフォドン類の恐竜たちのエサになっていたのではないか。クラドフレビス・クワジマエンシス、クラドフレビス・ディスタンスもシダ類の植物だ。
貝の化石(ウニオ・オガミゴエンシス)も1つ見つけた。カワシンジュガイ科の二枚貝で、現生のカワシンジュガイは淡水性で、水のきれいな川や湖などに生息している。白亜紀前期の桑島にも川や湖があり、その周囲には様々な種類の高い木や低い草の茂った豊かな森林が広がっていたと想像できる。
福井県勝山市の福井県立恐竜博物館の発掘現場見学教室では、「北谷互層」(1億2500万年前~1億1900万年前)の岩石から、植物化石(ポドザミテス・ランセオラトゥス、クラドフレビス・クワジマエンシス、プテロフィルム)が見つかった。プテロフィルムは現在のソテツによく似ている。ソテツは亜熱帯~熱帯に分布している。淡水性の二枚貝の化石も3種類(ナグドンギア、プリカトウニオ、トリゴニオイデス)見つかった。いずれもカワシンジュガイ科の仲間で、福井県も白亜紀前期には、川や湖のある豊かな森林が広がっていたのだ。他に発見の可能性のある恐竜化石は、鳥に近い小型恐竜ミクロラプトルだ。グライダーのように滑空し、高い木の枝から枝へ飛んでいた。
《来馬層群(ジュラ紀)》
新潟県糸魚川市・谷(しなだに)の川原の転石(・谷層:1億9400万年前~1億8800万年前)から、植物の化石(クラドフレビス)や色々な種類の貝の化石が見つかった。現生のイシガイやドブガイの仲間の先祖と考えられるカルディニオイデスは、石川県で採れたウニオと同じく、水のきれいな川や沼などにすむ淡水性の二枚貝だ。エオミオドンは、群馬県で採れたコストキレナと同じく汽水性の二枚貝だ。エオミオドンはコストキレナよりも、塩分の濃い生息環境にいたと考えられている。
さらにミチルスは現生のイガイ(ムール貝)の仲間で、イガイは「潮間帯」より少し深い海にすんでいる。ラドゥロネクティスは、ホタテガイの先祖と考えられているイタヤガイ科の二枚貝だ。バケベリアは現生のウグイスガイの仲間だ。イタヤガイもウグイスガイも潮間帯より少し深い海にすんでいる。こうした所で見つかる可能性の恐竜化石は1種類、エウストレプトスポンディルスだ。
富山県朝日町の大平川の転石(似虎谷層:2億年前~1億9400万年前)からは植物化石(ポドザミテス・ライニー、ポドザミテス・ランセオラトゥス、ニルソニア)、貝の化石ではエオミオドン、ラドゥロネクティス、トリゴニアなどが見つかった。
「くぼみ」とは、1994年に長野県小谷村土沢の林道わきの地層(ヨシナ沢層:2億年前~1億9400万年前)で見つかった恐竜(シャイゾグッラッター・オタリエンシス)の足跡だ。切り出された足跡3つが小谷村郷土館に展示され、その他は現地に残されている。足跡の長さや歩幅など実測して足跡化石復元図を作った。いくつかの疑問点について考えた。
〈Q1:どんな場所だったか?〉
発見の地層は泥岩、植物の化石、貝の化石も見つかったので、森の中に川や池があった所だ。しかし地層表面には、植物のクズと泥が混ざったものがたい積している。洪水でそれらが運ばれ、その上を恐竜が歩いたのではないか。
〈Q2:どのように足跡がついたか?〉
花壇用の土に手形をつけたら、1週間でかわき、手形が残った(実験1)。水たまりの中に手形をつけたが、1週間後には手形が残っていない(実験2)。シュレッダーで細かく切った紙を植物のクズの代わりにして、水を入れて土と混ぜた。手形がはっきりつき、2週間後も残った(実験3)。実験3の手形に、シャワーの水を10秒間かけた。手形はたちまち消えた(実験4)。足跡が残るのは「次に雨が降るまでの間」だ。
〈Q3:足跡はどのように保存されたか?〉
恐竜の足跡の上には凝灰岩がたい積していた。足跡が雨で消える前に、火山灰がたい積して保存したのだ。石こうの粉を実験3と同じ手形に振りかけると、きれいな石こうの手形ができた(実験5)。洪水があったり、火山が噴火したり、恐竜たちは大変だった。
〈Q4:恐竜の種類は?〉
スーチュアノサウルス |
4足歩行なら、後足・前足の大小の足跡がつく。発掘された足跡はほとんど同じ大きさなので2足歩行だ。肉食恐竜は全ては2足歩行だし、獣脚類の足跡であるグララッターという形によく似ている。同じ体長の肉食恐竜を探してみる。足跡の大きさを元に体長を計算しようと、恐竜の図鑑やフィギュア、骨格などから計111体の肉食恐竜を測定した。その結果、肉食恐竜の腰までの高さは足の大きさの4.82倍、全長は足の大きさの14.92倍だ。足跡の主は、腰までの高さが1.2773m、全長が3.9538mの肉食恐竜。図鑑で探すと、それはスーチュアノサウルスだ。
〈Q5:何匹いたのか?〉
連続した足跡、進行方向が違う足跡もあるので、2、3匹いた。最近の学説では、肉食恐竜は群れを作り、狩りをして暮らしていたという。足跡が大型肉食恐竜の子供たちのものだったら、家族で行動していたとも考えられる。近くに親の足跡もあるかもしれない。
〈Q6:年齢は?オスかメスか?〉
足跡g、hはひと回り小さいので若い恐竜、a~fは年上の恐竜か。大きい足跡はオス、小さい足跡はメスかもしれないが、逆の場合もあるので、よく分からない。
〈Q7:走っていたか、歩いていたか?〉
a~fのうちa・c・eが右足、b・d・fが左足だ。右足はきれいな形だが、左足はゆがんでいる。さらに右→左(c→d、e→f)の歩幅に比べて、左→右(b→c、d→e)の歩幅の方が狭い。この足跡の主は左足にけがをし、左足を引きずっていたのではないか。これを再現するため、ぼくも雪の上で、左足に力を入れずに歩いてみた。確かに似た歩幅になった。恐竜の足跡が続く先には、傷つき、力尽きた1匹のスーチュアノサウルスの全身骨格の化石が、今も眠っているのかもしれない。
ぼくもいつか、見つけた新種の恐竜化石に、自分の名前を入れた学名を付けてみたい。
審査評[審査員] 小澤紀美子
世界では多くの化石が発見されているのに、なぜ、家の近くで大好きな恐竜の化石が見つからないのか、という疑問から始まった探究心あふれる研究です。恐竜化石が見つかりそうな地層を追究していくうちに、居住地以外の他県にまで追究が広がり、個人の発掘が禁止されている現場では、博物館が開催する発掘体験に参加するなどして、見つけた化石から中生代の環境や条件、状況を推察しています。そうした過程で見つけた貝や植物の化石から恐竜が生きていた時代の環境を想像していく論文の展開はわくわくさせられます。研究には豊かな想像力が必要なのだということを確認させられた研究論文のまとめ方となっています。さらに5年生のときに発見した「くぼみ」が恐竜の足跡であることを見出し、恐竜の足跡の第一発見者ではなかったのですが、どのような状況で恐竜の足跡が残るかを実験によりその環境条件を明らかにし、再現しています。そして発見した足跡について、ジュラ紀に生きていた肉食恐竜の体長を足跡のサイズを元に算出し、スーチュアノサウルスと同定し、さらに集団でいたのか、メスかオスか、などさまざまな思いをめぐらしていて、小さな物語を読んでいるような展開がされています。中学校に行っても本研究を継続し、大きな物語に仕上げてください。
指導について西沢正智
1年生の夏休みに市内の恐竜公園へ行ってから恐竜の面白さに目覚めた息子は、それから自分だけの分厚い恐竜図鑑を何冊も書きました。毎週火曜日の夜に、私が読む難しい恐竜の専門書を、聞きながら書き写して図鑑にしたのです。そんな4年前のある日、「うちの近所からも恐竜の化石は見つかるの?」という一言から、この研究は始まりました。私自身、恐竜についても地質や化石についても知識は全く無かったのですが、何とか息子の少し先を行って助言をすることができました。化石は石を割っては調べたりの繰り返しで作業が地味なので、飽きないように、ひらめくままどんどんと視点を広げながら、こつこつと小さな新発見を積み重ねていきました。やる気が見られず怒鳴る事もありましたが、発掘に出かけた先の名所を訪ねたり、たくさんの計算をしたり、絵を描いたり、文章を組み立てたりと、色々な勉強ができたと思います。その頑張りを力いっぱい褒めてあげたいです。