研究の動機
小学5年生の夏、自然観察のイベントで初めて粟井川を訪れた。巣穴を掘るカニが何種も生息していることを知り、それから何度も訪れるようになった。なかでも片方だけ大きなはさみを持ち、ウェービングをするハクセンシオマネキの雄に魅了された。大きなはさみを振り上げてダンスのように踊る姿は圧巻で、未知の世界だった。粟井川にはなぜ多数のカニが生息しているのか、その生態を解明したくて、現在まで調査を続けている。自然の作りだす干潟は、季節で形状を変える。形が変わるとカニの種や生息数、メガロパ(浮遊しているカニの幼生)の着床率まで変わっていく。カニが互いに及ぼす影響と、その原因を探っている。
分布の研究
5年間の研究の軌跡を、まとめてみた。
地形とカニの分布を調べる
2015年10月~2019年7月まで、粟井川河口の干潟で干潮時の地形とカニの分布を調査した。
2015年10月、干潟の南西側の泥地にアシハラガニ、北東側の粗砂と細礫(直径2~4mmの破砕された小石)のエリアにはハクセンシオマネキが生息。北東側の泥地はアシハラガニが生息していた。2016年8月には、南西側が砂地に変わってハクセンシオマネキが生息、北東側の分布は2015年と変わらなかった。2017年6月、北東側の干潟がひとつづきになって高低差ができ、干潮時に大きな水たまりができるようになった。するとメガロパの着底率が上がり、スナガニ科の稚ガニを初めて確認した。北東側はハクセンシオマネキ、泥地はチゴガニ、アシハラガニが生息。
2018年7月、豪雨の被害で地形が削られ、干潟の面積が減った。残った干潟もアシが倒れ、土壌は軟らかく、足が沈む。シルト(砂より小さく粘土より粗い砕屑物)の量が増え、地盤が弱くなっている。その半面、泥地にも細礫があり、どの土壌にも大きな粒子が確認できる。水質の悪い日も1カ月ほど続いていた。それでも、おもにハクセンシオマネキ、チゴガニ、アシハラガニ、ハマガニが生息。生育していたハマサジの葉が減り、ユビアカベンケイガニが干潟を歩く姿が多く見られた。行き場を求めるカニが、狭い干潟に密集しているように見える。
2019年7月、度重なる豪雨と、土砂崩れの復旧作業のため干潟に工事車両が入ったことが原因で、地形が削られ干潟の面積が減少した。カニの生息数も激減してしまった。土壌の多くは砂でできた砂浜、礫でできた砂利浜に変化し、カニの生息地として適さない環境になってしまっている。ハクセンシオマネキ、チゴガニ、アシハラガニは生息していたが、ユビアカベンケイガニの姿はほとんどなく、ハマガニは姿を消した。
活動が最も活発な7月、干潟に生息するカニの個体数を数えた。2018年は120
m²に生息するカニを調べ、「干潟全体の面積1348.8m²÷調べた区画面積120m²
×120m²の個体数」で推定生息数を、2019年は「干潟全体の面積206.8m²÷調
べた区画面積55m²×55m²の個体数」で推定生息数を算出した
地形とカニの分布の考察
地形が変化すると、カニの生息分布も変化する。ハクセンシオマネキは干潟面積が減少すれば、新たな生息地を探しにいく、最も生命力の溢れた種であるように感じる。しかし、人工的に壊された干潟ではなすすべもなく、個体数は減少した。
ウェービングの研究
1分間に何回ウェービングをするか
ウェービングというのは、カニがはさみを繰り返し振り上げること。粟井川では、チゴガニとハクセンシオマネキの雄がウェービングをする。チゴガニは、はさみを振り上げて下げる。ハクセンシオマネキは、はさみを横に振り出し、振り出したはさみを引き上げ、顔の前に下げる。どちらのカニのウェービングも繰り返し続けられ、求愛の意味があるといわれる。
はさみを振り上げては下げるチゴガニのウェービング
遠くの人へ手を振るようなハクセンシオマネキのウェービング
ウェービングの考察
チゴガニのウェービングは繁殖期と関係なく行われている。ハクセンシオマネキのウェービングは、早い時期に始まっても早く終えるということはない。海水域の個体に回数が少ない理由は、雌が近くにいる時だけ、熱心にウェービングをし、雌が離れるとやめる個体が多いからだ。鳥の生息地に近い海水域では、目立つ行動は命取りになる。
結論と課題
生態観察から、ハクセンシオマネキのウェービングは求愛であり、繁殖期に行われていることがわかった。天候との関連性も考えられる。チゴガニのウェービングは自己顕示であり、繁殖期と関係なく行われる。このスナガニ科2種には他種にない知的能力の高さを感じる。今後もその行動を、継続して調査したい。
5年の観察から他にわかったのは、ハクセンシオマネキはウェービングが活発になると警戒心が薄くなり、巣穴から出るのにかかる時間は短く、行動範囲は広がること。チゴガニはウェービングと行動範囲に因果関係がない。
また、ハクセンシオマネキは気温の変化、土壌酸度、威嚇の目的、ストレスなどの要因で体の色を変えること。名前どおりの白い個体が見られるのは夏だけで、暑さのなかでウェービングをし続けるために白くなる。
さらに、えら呼吸をするカニは水に含まれる酸素を体に取り込んでいるが、ハクセンシオマネキが水に浸からず長時間活動していることを、毎年不思議に思ってきた。どうやらその理由が、えら呼吸で取り込んだ水を体外へ出す孔(出水孔)の形にあることがわかってきた。出水孔の形が他種と違うだけでなく、第2歩脚と第3歩脚の間にある毛の束が、土から水を吸収して、えらへ取り込んでいた。この2つが、水に浸からなくても呼吸ができる要因だった。
小さなカニだが生命力に溢れ、生きる賢さをあわせ持つ。豊かな干潟がいつまでも続くよう、共存する人間には守る使命がある。改めてそう思える5年目の夏だった。
今後は課題として、「音との関連性について」調査していきたい。同時にこれまでの研究の継続調査を行い、さらに生態を解明したい。
[審査員] 小澤 紀美子
自然観察のイベントで、生命力にあふれ生きる賢さを持つカニの魅力に取りつかれて5年間継続してきた研究です。あまり広くない粟井川の河口干潟の11種類2万匹のカニを対象として、干潟の環境と変化、コドラート法による個体数の推定、2種類のカニの行動調査、カニの泥団子、カニの体内水分量、体の構造と機能など、14の研究方法による観察を進めています。マクロな視点からミクロへ研究項目を設定して、観察または計測によって、それぞれの項目が観察・研究論文として成り立っています。特に、興味深いのは、ウェービングの型がカニの種類によって異なることやチゴガニにおける非伸縮型と伸縮型の発生がカニの集中分布によること、さらにカニの重さ、甲幅、掌節をはかって筋肉量を算出してカニのはさみと、てこの原理を「挟む力」として強いカニを推測していることなど、多角的に観察・研究し、サラリとまとめている探究心に高い評価を得ました。
大石 陽子
この研究は「粟井川河口干潟に生息するカニの生態」について、数年にわたる調査をまとめたものです。ウェービングを数えることから始まり、研究が進むにつれ、どんどん視野が広がりました。1haの面積もない干潟は、地形の変化により、潮位や植生も変化し、種や個体数、体色や行動などの生態にまで影響があることに気付きました。そして環境条件別にさまざまな調査をすることで、環境の変化に適応し、巧みに生き抜くカニの生態について解明しました。今後は多種多様な生態系を守るために、海と川、干潟の繋がりまでも調査すると考えています。研究は、目で見て感じた疑問に対し、目で見て調査することの繰り返しでした。干潟で観察に費やした時間は1000時間を超えています。気温30度以上の干潟で根気強く観察を続ける姿には、本当に目を見張るものがありました。心の底から楽しんだ彼の研究が評価され、このような賞をいただき大変感謝しています。ありがとうございました。