第64回入賞作品 中学校の部
文部科学大臣賞

河床粒径の変化 ~9年間の研究の歩み~

文部科学大臣賞

静岡県立清水南高等学校中等部 3年
河原崎 朱
  • 静岡県立清水南高等学校中等部 3年
    河原崎 朱
  • 第64回入賞作品
    中学校の部
    文部科学大臣賞

    文部科学大臣賞

研究のきっかけ

 小学1年生の時、家族で川へ遊びに行くことがあった。川原にとてもたくさんの石があるのを見て、「この石はどこからやってきたのだろう?」と思ったことが、この研究のきっかけとなった。小学6年生までは「川の石はどこからやってくるの?」という、最初の疑問そのままの題名で研究した。中学1年生からは「河床粒径の変化」と題名を変えたが、それぞれの年の調査結果から生まれる新たな疑問を翌年の出発点としており、9年間つながった研究となっている。

小学生時代の研究

小学1〜2年生の研究

 小学1〜2年生の調査は、自宅から最も近い一級河川の大井川で行った。
 1年生の研究では、大井川の上流と中流、下流の3地点で川原の様子や石の大きさを調べ、上流へ行くほど流域の石が大きいことを知った。上流の山にある大きな石が、川を流れる水の力で転がりながら下流へ運ばれるうちに、削られて小さくなるのではないかと考えた。
 2年生の研究では4つの調査地点を加え、合計7地点(A〜G地点)の石の大きさを調べた。上流に行くにつれ、石が大きくなることを改めて確認できた。自分で名づけた「あつまり石」(ケツ岩入りのレキ岩)という石が、大井川のどこからやってくるかも調べ、河口から77〜87kmにあるF〜G地点の露頭から運ばれると考えた。

小学3〜4年生の研究

 3年生の研究では、一級河川の安倍川を調査した。4地点で石の大きさを調べ、大井川と同じように上流に向かって石の大きさが必ず大きくなっていくことを確認した。石の種類では、大井川と安倍川の両方に見られる石と、安倍川だけに見られる石(セキエイハン岩やジャモン岩)があることがわかった。
 4年生の研究では、比較的川の長さが短い二級河川の瀬戸川で調査を行った。3年生までの調査で大井川(全長168km)と安倍川(全長51km)を比べ、安倍川のほうが下流の石が大きいことがわかっていた。ここから、長い川のほうが石が削られやすく、河口付近の石の大きさが小さくなるという仮説が生まれた。瀬戸川(全長26km)の下流に安倍川よりもっと大きな石がある可能性を考えていたが、予想に反して瀬戸川より安倍川の下流ほうが石は大きかった。

小学5〜6年生の研究

 5年生の時、それまでの調査結果を見返すうち、大井川と安倍川、瀬戸川の3河川に共通して、石の大きさが急激に変わる場所があることに気がついた。大井川は河口から70km、安倍川は30km、瀬戸川は20km付近だった。3河川の上流端からそれぞれの地点まで、石は大きく削られ急激に小さくなっていく。しかし、それぞれの地点から河口に向かっては、石の大きさの変化はゆるやかになる。その原因は、地形や河床勾配(川底の傾き)の影響で川の流れの速さが変わることだった。
 6年生の研究では、その場所より上流と比べ石の平均値が大きい、逆転現象が起きている地点に注目した。大井川と安倍川、瀬戸川すべての河川で、上流から下流に向かって石がだんだん小さくなることに疑いはない。ところが安倍川の河口から20km付近では、それより上流と比べ石の平均値が大きかった。なぜその逆転現象は起きるのか、河口から20km地点より少し上流に流れ込む支川の中河内川から、本川の安倍川より大きな石が流入しているためだった。4年時の研究で「川の長さで石の大きさが変わる仮説」が立証されなかった原因も、中河内川から流入する石の大きさにあったことがわかった。
 さらに一級河川の天竜川にも、安倍川と同じような逆転現象が見られる2地点があった。天竜川の逆転現象の原因は、ダムの放水だった。ダムの直下では、蓄えた水の放流時に川の掃流力(水の流れが土砂を運ぶ力)がとても大きくなる。本来の流れでは動かない大きな石まで下へ動かされ、止まった場所に残されたと考察できた。

中学1年生の研究

研究の目的と仮説

 小学生時代の調査では、より上流に比べ石の平均値が大きくなる逆転現象が起こる地点が、安倍川と天竜川にはあり、大井川と瀬戸川、中河内川にはない、という結果が得られた。支流もダムもない瀬戸川と中河内川で逆転現象起きないのは納得できるが、天竜川と同じようにダムがある大井川で逆転現象が確認できないことに疑問を持っていた。小学生時代には手つかずだった大井川のさらに上流へ行き、本当に逆転現象が起きていないかどうかを調べることにした。
 調査の前に立てた仮説では、天竜川と同じように大井川でも、まだ調べていないダムの上流と下流とで石の大きさに逆転現象が起きていると考えた。

大井川での逆転現象の調査方法

 上流の新たな調査地点へ行き、任意に決めた場所に立って30cm四方の段ボールの枠をフリスビーのように投げる。枠が落ちた場所で、中へ入った石のうち大きいほうから10個を選ぶ。枠に一部が入っていれば、その石も候補とした。選んだ10個の石のそれぞれ最も長い部分(長径)を測定する。

 これを1セットとし、各地点で2セットの調査を行う。2セット目は1セット目から5〜10m離れた場所で行った。各地点での2セットの測定結果から長径の平均を求め、記録する。この記録方法は小学1年生から全く変えず、データを蓄積させているものだ。

大井川での調査結果

 大井川上流の新たな2か所の調査地点(HとI地点)で石の大きさを記録し、より下流のA〜G地点と比較したのが下の表だ。

 表からもわかるとおり大井川のG地点で、より上流のH地点に比べ石が大きくなる逆転現象が起こっていた。G地点からH地点にかけて、本川に流れ込む大きな支流はないが、大井川ダムと長島ダムというふたつのダムがある。逆転現象の原因は天竜川と同じように、ダムの放流による圧倒的な掃流力で本来は動かない大きさの石が流され、G地点へ取り残されたからだと考えられる。
 ただ、H地点とI地点の間にも奥泉ダムと井川ダムがあるのだが、ここでは逆転現象が起こっていない。理由の検証という課題が残った。

中学2年生の研究

研究の目的と仮説

 河床勾配は普通、上流ほど大きく急斜面になり、下流に行くにつれて小さく緩斜面になる。が、河床勾配の変化を表すのに、「遷急点」という用語がある。例えば山の尾根から麓にかけての斜面は一定の角度ではなく、多くの場合、傾斜が急になる地点がある。この点を遷急点と呼び、遷急点が連なった線を遷急線と呼ぶ。上流から河口まで流れる川の底にも、ダムや滝ほど急でなくても遷急点があり、より上流に比べ河床勾配が大きくなる地点が存在する。この川底の遷急点が逆転現象に影響を与えているのかどうか、調べてみたいと思った。
 仮説として、遷急点も逆転現象の原因となる可能性が高いと考えていた。逆転現象が起こる原因のひとつは、ダムの放流などで川の掃流力が強まることだ。掃流力は河床勾配が急変する遷急点でも強まり、本来その場に残るはずの大きな石まで下流へ流す可能性がある。

遷急点と逆転現象の調査方法

 過去7年間に調査した33地点(大井川9地点、安倍川7地点、瀬戸川6地点、中河内川3地点、天竜川8地点)の標高と河口からの距離から、それぞれの河床勾配を求める。標高と河口からの距離は国土地理院の地図で調べ、各川ごとに表にまとめることにした。

 例えば上の表の数値から、河口からA地点の河床勾配を求めてみる。河口を「標高0m、河口からの距離0km」とすると、河口からA地点までの高低差は20m、距離は6km(6000m)となる。
 河口からA地点までの河床勾配を1/Xとすると、
 1/X=20/6000
 となるので、
 Xは6000÷20=300
 となり、河口からA地点までの河床勾配は1/300と求められる。
 つまり河口からA地点まで、河床が1m高くなるためには300m上流へ行かなければならないことを表し、分母の数字が小さくなるほど勾配はきつい。
 A地点からB地点までの河床勾配は、AB間の距離(24000m−6000m)÷AB間の標高差(95m−20m)でXを求めることができる。
 同じ方法ですべての観測地点間の河床勾配を求め、各河川で河床勾配が大きくなっている遷急点を探し、逆転現象との関連性を考察した。

遷急点の調査結果

 これまで逆転現象が確認されていなかった瀬戸川、中河内川の2河川には、遷急点が確認できなかった。
 天竜川、大井川、安倍川の3河川には、下記の表と図のように、遷急点が確認できた。
 遷急点が見つからなかった瀬戸川と中河内川は、上流から下流へ向かって決まって河床勾配が緩やかになっているため、河川の流速(水の速さ)も下流へ向かうに従って緩やかになると考えられる。掃流力も下流方向へ小さくなって、石がふるいにかけられたように選別され、石の大きさに逆転現象が起こらなかったのだろう。

天竜川の遷急点

 天竜川で見つけた遷急点は図の青い▼のA、C、E、F、H地点だ。天竜川で逆転現象が起きているのは、ダムのすぐ下流にあるE、G地点(図の赤い▼)だった。このことから、逆転現象が起きる地点のひとつ上流地点に、必ず遷急点があることがわかった。
 しかし、遷急点がある地点のひとつ下流地点に、必ず逆転現象が起こっているわけではない。逆転現象が確認できないA、C、E地点の遷急点は、海岸段丘の段丘崖なのではないかと考えた。地震が多い静岡県は、昔から巨大地震によって地面の隆起を繰り返している。海岸線だった場所が隆起して急斜面の段丘崖となり、海底だった場所は緩やかな段丘面となって、海岸線が遠ざかっていくような現象が何度も起こっている。天竜川の川底にも海岸段丘による遷急点があるが、逆転現象を起こすほどの掃流力は生み出せないということだろう。改めて、ダムの掃流力の大きさに驚いた。

大井川の遷急点

 大井川でもダムを挟んで上流に遷急点、下流に逆転現象があるという関係性が確認できた。そもそもダムは洪水や渇水対策、発電に役立てるため、多くの貯水量が得られる急斜面に建設される。そのために、ダムの上流には遷急点があるとも考えられる。ただ、大井川には天竜川のような海岸段丘と見られる遷急点を確認できなかった。これは大井川で、標高70m以下の地点をほとんど調べていないからではないか。標高70m以下の地点を調べ、遷急点があるかどうかを確かめる必要があった。

安倍川の遷急点

 安倍川の場合、支流の中河内川の合流地点で逆転現象が起こり、同じ場所に遷急点も確認できた。崩れやすい山の斜面を流れる中河内川は、土砂の生産量が豊富な川だ。大量の土砂で合流地点の標高を上げ遷急点を作り、さらに本川より大きな石を流入させていると考えられた。下流C地点の遷急点は、天竜川と同じような海岸段丘の段丘崖だと思われるが、追加の調査が必要だ。

中学3年生の研究

研究の仮説と方法

 巨大地震による大地の隆起や海退は、広範囲で大規模に起こることが多い。天竜川の標高70m以下の河床で確認できる遷急点が本当に海岸段丘の段丘崖であるなら、天竜川からそれほど遠くない大井川や安倍川にも標高70m以下の河床に遷急点が見つかる可能性が高い。
 標高70m以下の天竜川の調査地点7か所(A〜G地点)を基本とし、大井川と安倍川の同じ標高地点でも河床勾配を算出した。河床勾配の算出方法は、中学2年生の研究と同じ方法を採用している。

大井川と安倍川の標高70m以下の遷急点

 大井川のほうはb地点、c地点、f地点に遷急点があることが確認できた。大井川は仮説のとおり、天竜川と同じような海岸段丘の段丘崖が遷急点になっていることがわかった。安倍川のほうは、新たに遷急点を確認できたのはa地点だけだった。海岸段丘が原因と考えられる、階段状の複数の遷急点は存在しないことがわかった。

大井川と安倍川の仮説についての考察

 標高70m以下の大井川には海岸段丘の段丘崖だと考えられる遷急点が見つかったが、気がかりなのは天竜川のようにきれいな階段状になっていないことだ。大井川は天竜川より河床勾配がきつく水の流れが速いため、段丘崖が早く浸食されたのかもしれない。
 今回の研究では静岡河川事務所や浜松河川国道事務所を訪れ、さまざまなことを教えていただいた。浜松河川国道事務所でうかがった話のなかに、河川が流路を変えることで遷急点ができる可能性がある、という指摘があった。今後は河川の流路の変遷と遷急点の関係を課題として追究し、確かめる必要があると感じた。
 遷急点が1地点しか確認できなかった安倍川だが、天竜川や大井川の標高70m以下の遷急点が海岸段丘ゆかりのものならば、もっと多くの遷急点が見つかるはずだった。大井川と安倍川は20kmほどしか離れていない。
 なぜ、安倍川の遷急点は少なかったのか。その理由については、静岡河川事務所でうかがった話にヒントがあった。ひとつは安倍川は土砂の供給量が大変多く、階段状の遷急点が埋まってしまう可能性が高いこと。もうひとつは、大量の河床材料が採取されているため、遷急点があったとしても削られてしまった可能性が高いこと。静岡河川事務所による計画的な土砂採掘が行われた結果、遷急点がなくなってしまったと推察できた。

終わりに

 「川原の石について9年間も調べることがあるの?」と、聞かれることがある。しかし、川原の石を調べれば調べるほど、新たな疑問が次々と生まれ、終わりを想像することができない。何千何万年と流れ続けている川の時間に比べれば、9年間はほんの一瞬にすぎない。
 これからも静岡河川事務所や浜松河川国道事務所の方に教えていただきながら、川の謎について、さまざまな視点から解明していきたいと思う。

指導について

河原崎 智成

 小学生の時に、6年間の研究のまとめとして初めて応募し、今回は中学を含め9年間の研究の集大成として応募させていただきました。中学の研究からは、主に河床勾配が急激に変わる遷急点のできる原因について追究していきました。調査から得た数値データをイメージ図という視覚的に表す方法を思いついたことで、「遷急点の原因は、海岸段丘の段丘崖ではないか。」という新たな仮説や考察につなげることができたことが大きな成果でした。得たデータや資料をどのように分析したら、より深い考察につながるのか、どのように表現したら、多くの人によりわかりやすく伝わる論文になるのかを娘に問い続けてきました。この9年間の研究を通して得た、何事に対しても自分で考え、切り開いていく力をこれからも大切にしてほしいと願っています。静岡河川事務所、浜松河川国道事務所の先生方からアドバイスをいただいたお陰で、より深い研究につながったと感謝しています。

審査評

[審査員] 田中 史人

 本研究は小学校1年生からの9年間継続して行った研究です。川の石がどこからやってくるのかといったことに小学生の時に興味をもち、中学生では調査結果から生じた疑問を、河床を構成する河床粒径に変えて河床の勾配や地形の変化による違いなどについても調査し研究を行いました。調査結果から生じた疑問を解決するために、仮説を立て研究を行いました。川の調査する地点を上流から下流に変え、調査する川も増やしています。上流よりも下流の石の方が大きくなることがあるという逆転現象も発見しました。自身が行った調査結果について、“なぜだろう”という疑問をもとに河川事務所を訪ねて話を聞くなど納得するまで取り組む姿勢にはとても好感がもてます。
 また、独自の方法で行った調査方法を継続して行ったことで、得られたデータの量はとても多く、より一層信頼がおける結果を得ることができています。結果を表やグラフ、地図等を使いとてもわかりやすくまとめてあり、その努力は高く評価されました。今後は、現在の川と昔の川の違いをもとに過去に起きた事実を知ることで、本研究が将来起きるかもしれない災害を予測し、適切に対応できるよう発展していくことを期待します。

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