厚東川河口域の竹ノ小島周辺のヨシ原は、ベッコウトンボとヒヌマイトトンボの両種が生息する国内唯一の場所だ。観察を通じて、汽水域に生息する絶滅危惧種の不思議さを実感し、生息地保全の助けになればと思った。
竹ノ小島はかつて本土から離れた孤島だったが、堤防がつながり、干拓面積が拡大して現在に至った。東側と南側に隣接する厚東川と馬渡川は潮位差が4mにも達し、この堤防から滲出する海水により汽水域が出来あがっている。
初めての記録は2001年。代替地周辺のみで調査が行われ、合計20頭(匹)が確認された。02年と03年は、いずれも5月の連休から10日ごろに確認個体数のピークを迎えた。顕著な違いは初見日で、02年は4月21日、未熟個体も5月18日まで確認した。しかし03年の初見日は5月3日と約2週間遅く、さらにいきなり成熟個体が現れ、未熟個体もあまり確認できなかった。
04年は1頭も確認できなかった。壊滅的な個体数の減少だ。激減の要因は、第一に気象の変化。4~5月の天候不順、冷夏、9月の少雨。ヨシ原の水位低下、乾燥に伴う塩分濃度の上昇なども関与したと思われる。次の要因はヨシ原や周辺部草地の植生の変化だ。05年はテネラルな(羽化して間もない)個体を含め18頭を確認。メスも半数以上で交尾、産卵個体を初めて確認した。
竹ノ小島では1995年に発見された。当地では通常のメス(通常型メス)に混じって、オスと全く同じ体色をしたメス(同色型メス)がかなりの割合で見られる。
02年の初見日は5月25日、03年が5月21日、04年が5月23日、05年が5月21日。実際はもう少し早く出現していると考えられる。活動時期が重なるベッコウトンボの観察視線では、水面すれすれで活動している本種を見つけることは不可能だからだ。多くの個体が確認されたのは6月半ば~7月半ばで、梅雨が明けて夏本番になると減少する。
◇ベッコウトンボ
1頭も確認できなかった。依然として不安定な発生状況が続く。
◇ヒヌマイトトンボ
昨年できなかった定点観測(4地点)が今年はできた。初見日については、今年4月の低温が影響して、他種のトンボの多くが10日前後遅れた。本種の初見日は平年並み、個体数のピーク時期は04年に比べ約1週間遅れた。 確認個体数については、昨年の調査では水位が下がり生息域も縮小しているため、かなり減少している印象を持っていたが、予想通り、すべての地点で04年を大幅に下回る結果となった。
観察回数は04年27回、今年は17回しかできなかった。
04年に対する正確な減少幅を求めるため、
〈計算上の理論値〉=04年個体数×(06年調査回数/04年調査回数)
を算出し比較した。その結果、今年の確認個体数はSt.Ⅰ西側が36.4%、St.Ⅲの鉄塔西湿地が64.3%、代替地北東が86.8%、代替地南西が49.1%となり、合計個体数も60.2%に減少したことになる。またピーク時の最大個体数の比較でも、いずれの地点でもかなり減少し、特に代替地南西では04年の1/4以下になった。
◇工事の影響
ベッコウトンボはついに「絶滅」、ヒヌマイトトンボは04年に比べ4割減少という結果には、現在当地で行われている湾岸道路建設と中川河川改修の2つの工事が深く関与している。湾岸道路建設により、かつてベッコウトンボの羽化当日個体や未熟個体、ねぐら個体が見られた草地は更地となり、ヨシ原も埋め立てられた。中川河川改修では、ヒヌマイトトンボが誘導路(コリドー)として利用していた可能性の高いヨシ帯も消失した。深刻なのが水位低下と、それに伴う塩分濃度の上昇だ。ある区域では04年に比べ、水深が平均30cm浅くなり、塩分濃度が7倍以上になった区域もある。代替地北側溝では水深40cm以上が、トンボの個体数を復元させる必要最低条件と考えたが、今年は一度も04年の水位を上回ることはなく、塩分濃度の逆転も皆無だった。
まとめ
ヒヌマイトトンボは、ふ化や若齢幼虫の成長に塩分濃度の低い汽水が不可欠だ。逆に、齢期を重ねた幼虫は攻撃性に乏しいことから、天敵を減少させるために塩分濃度の高い汽水を必要とするなど、非常に高い「環境選択性」を持った特殊なイトトンボだ。それだけに、一昨年までは足の踏み場に困るほど本種の個体が確認できた竹ノ小島周辺のヨシ原は、偶然が重なって出来た奇跡に近い環境だった。ベッコウトンボについても、本来が淡水の池沼が生息地で、竹ノ小島周辺の汽水域でも見られたということは、それだけ適した環境がなくなっていることの裏返しと考えられた。それも、今年はついに1頭も確認できなかった。幸い山口県内には「個体群」の規模で両種が生息している。種の多様性を維持していく上でも、私たちがこれら希少種の保護策を考えていかねばならない。
審査評[審査員] 高家博成
昨年に引き続き、同じテーマでの研究結果が送られてきました。審査員一同は大変嬉しく思いました。
ベッコウトンボとヒヌマイトトンボは河口の湿地域に生息する稀少なトンボです。湿地はやがて陸地化していく運命にあり、さらに道路工事による影響を受け、またその緩和策(ミティゲーション) 工事なども行われ、トンボをはじめとする小動物の生活環境は大きく変化しています。
この間の地道な生態観察は長期にわたり、マーキングと再捕獲、生息環境の化学的調査など、過酷な天候と悪い生息環境の中でも続けてきました。頭の下がる思いです。この結果は2種のトンボの生存はもとより、多様な生物のためにはけっして良い方向に向かっているとは言えない、と法衣さんは心配しています。今後の保全活動には、大いに参考にしてもらいたいものです。
私は、特殊な環境に棲む2種のトンボの生理が詳しく知りたいものだと思いました。
指導について紙村尚志
足の踏み場に困るほど多くのヒヌマイトトンボの個体が確認できたヨシ原の異変に気づいたのは昨年の夏。水位低下により生息域が縮小し、ベッコウトンボの産卵を確認したガマ帯にも水面が全く届かない状況となった。昨年は妻の入院・手術が調査期間と重なったため、ヒヌマイトトンボの4地点での定点観察は行えなかったが、今年は定点観察を復活させ各々の地点での減少幅を、調査回数の違いを勘案して計算上の理論値を使って算出した。国内で唯一の成功事例であるヒヌマイトトンボの代替地の謎を解明することが当初の観察の目的の一つであったが、減少・消滅理由を探るためのデータに使わなければならなくなったのが非常に残念である。
娘3人と共にトンボの観察を行うようになってから今年で14年。娘たちには生涯、生命の不思議・尊さを感じ、これら生命体を創出せしめた自然への敬虔の念を抱き続けていて欲しいと願っている。