研究の動機
僕の家では、カブトムシの受精卵からの完全飼育をしている。餌とする市販ゼリーに含まれる化合物「トレハロース」に注目した。カブトムシの成育、活動が良好だったからだ。
トレハロースは砂糖の仲間、糖の一種だ。砂糖の主成分スクロースは分解すると「グルコース」と「フルクトース」になり、トレハロースは2つのグルコースになる。人間などの哺乳類の血糖はグルコース、昆虫の血糖はトレハロースだ。昆虫が長時間空を飛び、跳ねたりしても大丈夫なのは、体液中のトレハロースをグルコースに変えているためだ。
昆虫の中には、周りが乾燥すると“乾眠”という状態で何年も生きのびる「ネムリユスリカ」や「クマムシ」がいる。乾眠にはトレハロースが深く関わっている。さらにシイタケやナメコなどのキノコ類、パンなどの酵母、海産物にもトレハロースが入っている。特に干しシイタケは、何カ月おいても、お湯や水に浸すと元の状態に戻る。これもトレハロースによる変化だ。
不思議に満ちあふれているトレハロースについて研究する。
〈1〉夢のシュガー「トレハロース」の不思議!
【実験1】
トレハロース、スクロース、グルコースの分子モデルを発泡スチロール球で作った。
《結果と考察》
トレハロースの構造は、他よりも規則正しく見えた。トレハロースの生体保護効果には2つのメカニズム(①トレハロースが水の代わりにタンパク質分子に水素結合する。②トレハロースがガラス状になりタンパク質を包む)が提案されているが、いずれもトレハロース分子の立体配置、立体配座が重要な鍵だ。
【実験2】
溶質(粉)の状態を視覚、触覚、味覚で確認した。
《結果と考察》
トレハロースの吸湿性の低さ、優しい甘さ、粒子の細かさ、水への溶解度の高さ、美しい白色の発色などが確認できた。お菓子類の格好の甘味料だ。
【実験3】
リンゴやバナナで、果物の変色抑制効果を調べた。
《結果と考察》
変色抑制力は糖類最大とはならなかったが、トレハロースの総合的な果実への鮮度維持能力が立証できた。トレハロースが水分をしっかりキャッチし、捕まえた水は離しにくいという特徴に由来する。みずみずしい食品への利用、水の自由度を奪うことでの静菌効果も期待できる。
【実験4】
トレハロースと他の糖類の5%水溶液を冷凍庫(マイナス20)に入れ、3日後の氷結晶の成長を観察し、5%塩化ナトリウム水溶液、水の場合とで冷凍抑制効果を比べた。
《結果と考察》
トレハロース水溶液でマイルドな結晶成長が確認され、高い冷凍抑制効果が認められた。極寒に生息する生物は、細胞内にトレハロースを貯えることで細胞内の水の凍結を防ぎ、生体細胞を守っているという。この現象に一致した結果だ。
【実験5】
野菜(ニンジンとキュウリ、大根)のスティックを3%トレハロース水溶液に浸してコップに立て、24時間後の様子を観察、水の場合とで鮮度維持効果を比べた。
《結果と考察》
トレハロース水溶液の方がスティックの曲がりは少なく、鮮度維持が高かった。トレハロースの強い保水力によって野菜中の水の移動が起きにくくなり、みずみずしい状態で長時間保てるのではないか。
【取材】
トレハロースを利用する有名菓子店などへの聞き取り調査や、近隣のスーパーやコンビニなどでトレハロース使用商品の市場調査を行った。
《結果と考察》
実際の経済活動の最前線において、トレハロースの科学的特質が広く浸透し、理解され、活用されていることを実感した。
研究のまとめ
トレハロースは近年、岡山市の企業によって2種類の酵素が発見され、澱粉から安価で大量に製造する技術が開発された。その吸湿改善効果を目的に、菓子類などでは砂糖の25~75%がトレハロースに置き換えられている。さらに生野菜の鮮度保持や漬物の食感改善、その保湿効果から化粧品にも利用され、医薬品や化成品への利用も期待される。今後は、トレハロースの食品のテクスチャー(質感)に及ぼす影響、昆虫や植物に与える影響などを検討したい。
〈2〉クマムシの新クリプトビオシスの発見!~「液眠」によるtun状態の出現!~
トレハロースのクマムシへの影響を調べる観察実験で、世界初の発見をしたので報告する。
【実験1】
クマムシの捕獲
《結果と考察》
家の周囲のコケを採取した。コンクリートやアスファルトの上の乾燥しているギンゴケにたくさんいて最適だ。湿って分厚く生えているコケにはおらず、クマムシの生活に適さない。
【実験2】
採取したコケからクマムシを抽出するために、ペットボトルを利用して簡易ベールマン装置を作った。上から蛍光灯を当てると、下にクマムシが移動し、それをピペットで吸い集める。
【実験3】
クマムシを顕微鏡で観察し、静止画と動画に記録した。
【実験4】
①樽状態の乾眠クマムシに10%トレハロース水溶液を加え、状態の変化を水の場合と比べた。
《結果》
水を加えると30分後から、非樽状態に復帰し始めたが、トレハロースの場合は3時間たっても樽状態のままだった。②非樽状態の乾眠していないクマムシに10%トレハロース水溶液を加え、水の場合と比べた。
《結果》
トレハロースの場合は3分後に、ほとんどが樽状態になった。水の場合はいつまでも非樽状態だった。
【追実験】
樽状態への変化が、溶液の濃度変化による浸透現象で起きた可能性もあることから、10%トレハロース水溶液と同じ浸透圧の0.86%塩化ナトリウム水溶液を作り、非樽状態のクマムシ200匹に加えて調べた。
《結果》
20分後からは、ほとんどクマムシが樽状態になった。このことはクマムシの樽化現象が、浸透現象によって起きたとする仮説を排除する。トレハロース水溶液による特異的な現象だったのだ。
考察
クマムシの樽化現象、つまりクリプトビオシスの定義は「乾燥する環境」が前提だが、今回の研究は、クマムシが10%トレハロースの水溶液中で樽状態となることを明らかにしたもので、「新しいクリプトビオシス」の発見だ。液体中で「眠」が起きたことから、これを「液眠」現象と命名した。
T.Okudaらの研究(生物物理、2004)によると、クリプトビオシスを示す「ネムリユスリカ」の幼虫を1滴の水に入れて急速に乾燥させると、幼虫は水に戻しても蘇生しなかった。48時間以上かけてゆっくり乾燥させると、全ての幼虫が蘇生した。ゆっくり乾燥の幼虫には、乾燥重量の20%に相当するトレハロースが蓄積されていたが、急速乾燥の幼虫からはわずかの量しか検出されなかったという。
これは、クリプトビオシスをする生物は、乾燥で完全脱水するまでに体内での準備を完了しておくということ。今回の実験でクマムシは、過飽和なトレハロース環境に置かれたことで、樽状態になるのに必要かつ十分な量のトレハロースが体内にできたものと“誤認”し、すぐに「液眠」に入ったのだ。
今後の課題
トレハロースの生体保護効果のメカニズムを探るために、乾燥耐性因子のLEAタンパク質とクリプトビオシスの関係について検討したい。他の糖類とも比較しながら、トレハロース溶液の化学反応について、新たな知見を見出したい。
審査評[審査員] 大林 延夫
クマムシの仲間は、クリプトビオシスと呼ばれる休眠システムを持っていて、水がなくても何年も生き続ける事が出来ます。乾燥に出くわすと、体内にトレハロースを蓄積して代謝を停止すると言われています。
上代君は、このトレハロースに着目して、クマムシの休眠覚醒と休眠誘導を調べました。その結果、乾燥した樽状(休眠状態)のクマムシは、水を加えると非樽状に復帰(覚醒)するのに、トレハロース水溶液中では復帰しない事、反対に非樽状のクマムシは、水中では変化がないのにトレハロース水溶液中では短時間で樽状(休眠態)になる事を確かめました。しかし、塩化ナトリウム水溶液中でも少し時間はかかるものの、1時間後には樽状になっています。これが、高浸透圧の外液によって水分が失われて起こるクリプトビオシスの一種、オスモビオシスなのか、トレハロ−スによる特異的な現象なのかを確かめるには、さらに詳しい実験が必要でしょう。今後の研究の発展が楽しみです。
指導について上代 昭文
最強生物「クマムシ」の顕微鏡観察を画像として残すことは、家庭実験において容易ではない。しかも、周囲の環境適応としての「樽」(tun)と呼ばれる、無代謝のクリプトビオシス状態への変化の動画化は、それ以上の困難が伴う。本研究においては、さらに、トレハロース水溶液中において、ほかの同浸透圧溶液よりも優先して樽化する発見が含まれる。つまり、トレハロース分子の存在をクマムシ自身が体内で合成または供給できたものと誤認するためであると結論付けられている。加えて、この結論自体も、単なる推論ではなく、続く前の本人の自由研究に由来している。すなわち、先の研究において、トレハロース分子が、動植物の組織あるいは細胞の凍結や乾燥による障害から保護する機能を有していることを突き止め、それをさらに発展させた。最後に、密度の高い研究をしかも2本、ほぼ同時進行で実施し、ひと夏で一定の結果まで導いた労力を、高く評価したい。