研究の動機
小川未明の著作に『殿さまの茶わん』という童話がある。ある有名な陶器師が、殿様のために軽い、薄手の茶わんを作った。しかし殿様が実際にその茶わんを使ってみると、熱いお茶を注いだ時、手が焼けるような気がした。ある日、殿さまは旅の途中で百姓家に泊まることになった。その時、厚い茶わんでお汁を出されたが、手が焼けるようなことはなかった。殿さまは、親切な心がけとはどういうものかを考えた。そういう内容の物語だ。
薄手の茶わんと厚い茶わんでは、どれほどの違いがあるのだろうか。この研究は、茶わんの厚さと表面温度との関係を明らかにし、熱くなりにくい茶わんのあり方について考察したものである。
研究の目的と方法
研究の目的は、①茶わんの厚さと表面温度との関係を明らかにする。②茶わんの表面温度の高低は何によって決まるのか、明らかにする。③窯元に依頼して、実際に手が熱くならない茶わんを作ってみることだ。
研究の方法は、①さまざまな厚さの茶わんで、熱湯を入れた時の表面温度を比較して、茶わんの厚さと表面温度の関係を考察する。②陶磁器以外の素材を使った器の表面温度を調べる。③「茶わんの素材内部には空気の入った微細な穴が無数にあり、その空孔が手に熱を伝えにくくする」という仮説をもとに、茶わんの構造や密度などを調べ、仮説の正しさを検証する。
研究の実際
陶磁器の茶わんの表面温度の比較実験
2020年10月から2021年7月にかけて、右上のような装置で実験を行った。40種類の陶磁器の茶わんそれぞれに温度を調べ記録したところ、次のことがわかった。
どの茶わんも熱湯を注ぐと、最初の1分間でお湯の温度が急激に下がる。お湯の熱が茶わんに奪われるためだ。その後も熱は茶わんと水面上部の空気へ逃げ続け、お湯の温度は少しずつ下がる。逆に茶わんの表面温度は最初の1分間で急激に上がる。その後は熱が空気中に逃げていき、茶わんの表面温度も少しずつ下がる。
お湯の温度と茶わんの表面温度の差(以下、「湯と茶わん表面温度差」という)を見ると、その差は最初の1分間で急激に縮まる。縮まるがすぐに同じ温度にはならず、注いでから30分経ってもお湯のほうが熱く、茶わんの表面温度は低いという、温度差を持ったまま冷えていく茶わんもある。一方、注いで20分ほどで差がなくなり、同じ温度で少しずつ冷えていく茶わんもあった。
この「湯と茶わん表面温度差」が大きいほど、手に伝わる熱は小さくなると考えた。茶わんの厚さで「湯と茶わん表面温度差」がどう変わるのか、お湯の温度がほぼ60℃になった時の各茶わんの「湯と茶わん表面温度差」を調べた。お湯の温度を60℃としたのは、部員が何とか我慢できる茶わんの熱さだったからだ。ところが「茶わんの厚さ」と「湯と茶わんの表面温度差」に、特徴的な相関関係を見出すことができなかった。
予想を裏切る実験結果が出たのは、30分間という長い時間で変化を見たからではないか。短い時間での変化に着目すると、違う事実があるかもしれない。そこで、熱湯を注いでから1分後の各茶わんの「湯と茶わん表面温度差」を調べた。すると、茶わんの厚さが大きいほど、「湯と茶わん表面温度差」も大きくなる傾向があった。茶わんが厚いほど、茶わんの表面温度は熱くなりにくいわけだ。茶わんの厚さと表面温度の関係性が顕著に表れるのは、お湯を注いで間もない時間に限られていた。
ここまでの結果を確かめるため、熱湯を注いでから各茶わんの表面温度が60℃になるまでの時間や、最初の1分間でお湯の温度がどれほど下がり、茶わんの表面温度がどれくらい上がるのかを調べた。その結果、湯を注いでから茶わんの表面温度が60℃になるまでの短い時間に限ると、確かに茶わんが厚いほど表面温度が低くなる傾向がある。しかし、30分間ほどの長い時間で見ると厚さが大きい茶わんの表面温度はゆっくり下がり、最終的に薄い茶わんより高くなる傾向があった。この時、表面温度が下がりづらいのは厚さだけではなく、茶わんの容積も関係しているのではないかという印象を持った。
茶わんの容積と表面温度との関係
茶わんの表面温度が下がりにくいのは、茶わんそのもののせいではなく、注がれるお湯の質量が大きいからだと考えた。ある物質1kgを1K(ケルビン、絶対温度の単位)上昇させるのに必要な熱量を比熱という。比熱と、ある物質の質量の積を熱容量といい、同じ温度のお湯なら質量が大きいほど熱容量は大きくなる。容積が大きい茶わんにはお湯がたくさん入り、お湯の熱容量が大きくなる。茶わんはお湯から長時間にわたって熱を得て、表面温度が変わりにくいことがわかった。
陶磁器以外の器の表面温度の比較実験
他の素材の器でも手が焼けるほど熱くなるか、紙コップ、保温性の紙コップ、漆器、ステンレスタンブラー、プラスチック、ガラス、アルミニウム、木製の酒升、カップ麵容器2種類で、陶磁器と同じ実験を行った。その結果、紙コップ、アルミニウム、ガラス、漆器は陶磁器に近いが、他の6種類は陶磁器よりお湯の熱が器表面に伝わりにくい特徴を持っていた。特にステンレスタンブラーは時間が経ってもタンブラー表面温度がほとんど変わらなかった。
茶わんの断面の構造を調べる
ステンレスタンブラーは内部が真空の空洞になっていて、表面温度の変化を抑えている。カップ麵容器素材の電子顕微鏡画像を見ると、無数の空孔があった。この空孔こそが熱を防ぐのではないか。秋田大学地方創生センターのマイクロフォーカスX線CTを使わせていただき、陶器と磁器に分けて空孔があるかどうかを調べた。すると、陶磁器の内部に無数の空孔は存在した。ただ、空孔があればあるほど、熱が伝わりにくいわけではなさそうだった。「湯と茶わん表面温度差」が違う3つの茶わん⑩、⑰、㊱(厚さや容積はほぼ同じ、お湯60℃で⑩の温度差が最も小さく、㊱が最も大きい)で、空孔の数や大きさを確かめた(仮説どおりだと⑩の空孔が最も少なく㊱は最も多いはず)が、㊱より⑩や⑰のほうが多く見えた。
上が茶わん⑩、下が茶わん㊱の断面構造
陶磁器の密度と熱伝導率を調べる
他に要因を探すうちに「熱伝導率」という用語に出合った。熱伝導率は熱拡散率×比熱×密度で求める、熱の伝わりやすさを表す数値だ。素材によって値は異なるが、同じ素材の熱伝導率なら密度が高いほど大きくなる。茶わん⑩、⑰、㊱の密度を求め、熱伝導率を比較すると⑩>⑰>㊱だった。熱伝導率が最も高い茶わん⑩はお湯の熱が表面に最も伝わりやすく、熱伝導率が最も低い㊱はお湯の熱が表面に最も伝わりづらいと説明がついた。
茶わん⑩、⑰、㊱に冷水を注いで水が10℃の時の「水と茶わん表面温度差」を調べると、お湯とは逆に⑩の温度差が最も大きく、㊱が最も小さい結果となる。熱は熱いほうから冷たいほうへと伝わる。茶わんの熱伝導率が高いほうが、外側の空気熱を水に伝えやすく、水の温度が上がるためだ。
研究の感想
茶わんの表面温度には「厚さ」「容積(水の熱容量)」「空孔」「密度(熱伝導率)」が関わっていた。「厚さ」の影響を確かめた時は感動した。今後は、新型コロナウィルスの影響で今回あきらめた器づくりに取り組みたい。
[審査員] 秋山 仁
この作品は小川未明の『殿さまの茶わん』という読み物にヒントを得て研究が開始されたという変わり種です。食事のとき、料理が冷めていると美味しくない。お茶も熱い方が良い。殿さまには、手が焼けないが熱いお茶を飲んでいただきたい。こんな発想に基づき研究が展開されました。
茶わんの厚さと表面温度の関係を、「容積(水の熱容量)」「空孔の有無」「密度(熱伝導率)」などの観点から観察しています。また、マイクロフォーカスX線CTの画像を用いて、空孔を見つけたり、工夫して製作した実験装置を利用して、茶わんの表面温度を何度も繰り返し測定しています。測定結果を各種のグラフに表し、きめ細かい分析を行っています。この結果を踏まえて茶わんを作れば、きっと殿さまはお喜びになるでしょう。
由利本荘市理科教育センター 理科教育指導員 佐藤 和広
『殿さまの茶わん』は小川未明の作品で、道徳の授業の資料として使われることもある、とても読み応えのある物語です。この本の中に「厚手の茶わんでは、手が焼けるようなことはない」という記述があり「本当に厚手の茶わんは熱くなりにくいのか」という疑問から、この研究をスタートすることにしました。
私が学校に勤務していた頃、国立教育政策研究所の先生から、客観的な数字だけを使って学校評価を行うという手法を教えていただいたことがあります。アンケート結果や児童・生徒の成績など、あくまでも学校に関する数字だけで、その特徴や課題を見出していくのですが、そこから得られる情報の新鮮さに驚きました。
この研究も、生徒たちがコツコツと集めた数字(グラフ)をもとにして課題に迫るという方法で進めてみました。思った以上に面白い結果にたどり着くことができ、満足しています。