はじめに
ネジバナはラン科の多年草で、日本全国、芝生や湿地帯の明るい場所に生えている。株の中心から高さ15~40cmの花茎が伸び、花茎の周りに小さなピンクの花が、らせん階段のようにたくさんつく。花の奥には蜜と粘着性の高い花粉の塊があり、昆虫が花に頭を突っ込むと花粉塊が付着して運ばれる。図鑑や論文にはネジバナは、蜜を運んでくれる送粉者のハチとの関係でねじれていると書いてあった。ただ、ネジバナは香りが強く夜も咲いているから、ハチ以外の虫も来ているかもしれない。
前回までの研究で夜を中心に6万7083枚の写真を撮影して調べた結果、夜間のネジバナにさまざまな虫が訪れ、体に花粉塊を付けている様子が観察された。ダンゴムシやセマダラコガネなどの雑食の虫はしおれた花びらを食べて花粉塊を付け、クモやシデムシなどの肉食の虫は花のなかにいるアザミウマを狙って花粉塊を付けていた。このため、蜜を吸わない虫も花粉塊を運んでいる可能性があると考えた。そこで今回は、ネジバナのふたつの特徴からふたつの仮説を立てて研究をした。
今回の仮説
前回までの研究で、ネジバナには花が古くなると花粉塊がボロボロになって崩壊する特徴があることがわかっている。またネジバナの花は上(空から見やすい)が赤やピンク色で、下(地面から見やすい)は白色をしている。このふたつの特徴から、ふたつの仮説を立てた。
仮説①=ネジバナが古くなった花粉塊を崩壊させるのは、たとえハチに花粉塊を送粉してもらえなくても、雑食の虫や小さな虫に送粉してもらったり、自家受粉を手伝ってもらったりするためではないか。例えば、粉状になった花粉を体に付けてもらい送粉する、花粉塊を崩してもらって自分のめしべに自家受粉させるなど。
仮説②=赤白の花は、日中飛ぶ昆虫に目立つよう上は赤色、夜に地面にいる昆虫に目立つよう下は白色に分かれているのではないか。
このふたつの仮説を調べるため、今回は幅広い時間帯で合計1005時間、10万553枚の写真を撮影し、さまざまな花を訪れる昆虫を調べてみた。
仮説①の研究
ネジバナと同じように花粉塊が崩壊するランに、キンランとギンランがある。論文には、キンランは昆虫の送粉で受粉するが、ギンランは自家受粉しかしないと書かれていた。キンランもギンランも香りと蜜を持たず、ギンランは日中に訪れる昆虫も確認できないという。香りと蜜を持たないランが花粉塊を崩壊させるのには、何か意味があるのではないかと考えて、観察してみた。
キンランの観察❶〜❷
キンランは栽培ができない。博物館の観察会に参加したり、大きな公園の山道や雑木林を歩き回ったりして、関東で4か所の自生地を見つけた。
❶2023年4月25日、5月1〜2日に、見つけた自生地の1か所でカメラ1 〜2台を仕掛け、キンランをインターバル撮影をした。日中492枚、夜812枚の写真を撮影して、キンランを訪れる昆虫を記録した。❷開花しているキンランの花を分解して、花粉塊を顕微鏡で観察した。
観察❶の結果、キンランには日中、小さいハエやアリ、クモが少し来ただけだった。夜間に撮影された昆虫はいなかった。ハチの訪花も観察できなかった。アリが入り込んで動いていた花のなかで、花粉塊の一部が花粉塊を包む葯(やく)から飛び出していた。飛び出した花粉塊には穴が開いていて、虫が当たった可能性もある。
観察❷で、キンランの若い花の花粉塊は、ネジバナと同じように固まって葯に入っているのを確認した。ピンセットで軽くつつくと、ネジバナは花粉塊ごと取れたのに、キンランの花粉塊は粉っぽく簡単に崩れた。花粉塊をピンセットで取り出すと、バナナの房のように縦に裂けた。
ギンランの観察❶〜❷
❶ギンランも自生地を探し、管理事務所に実験の許可を取った。日中訪れる昆虫はいないということなので、5月2〜5日に6台のカメラを仕掛け、夜間を中心に6329枚を撮影した。❷つぼみの状態からしおれたものまで、ギンランの7つの花を分解して、ルーペと顕微鏡を使って花粉塊を観察した。
観察❶の結果、ギンランの花は撮影の間は閉じたままで、開いていなかった。クモが花の上を歩いていた。餌になる小さな虫が来ているのかもしれない。つぼみや若い花にアブラムシがたくさんいて、花のなかにも入っていた。花のなかで動くアザミウマやアブラムシを追って、花へ入るアリが観察された。
観察❷から、ギンランの花粉塊は若いうちから葯から飛び出し始め、花が古くなるほど大きく飛び出すことが分かった。崩壊した花粉塊がめしべの先の柱頭に付いている花もあった。しおれた花の花粉塊は縦に避けてボソボソだった。虫がぶつかるだけで崩れそうだったり、すでに崩壊して粉状になったりしていた。しおれた古い花5つは、すべて自家受粉しているようだった。
雑食の昆虫によるネジバナの受粉実験
蜜を吸わない雑食の虫が本当に受粉に役立つのか、ネジバナで受粉実験もした。虫を通さない網のなかに、開花前のネジバナの鉢植えとダンゴムシ50匹、ダンゴムシの餌(市販の乾燥朴葉)を入れる。比較対象のもうひとつの網には、ネジバナの鉢植えだけを入れた。花がしおれた後に鉢植えを取り出し、めしべの根元にある子房を分解して、なかの胚珠(将来種になるところ)を顕微鏡で観察した。博物館の先生にもお願いして、胚珠がふくらんで受粉しているかどうかを判断した。
その結果、ダンゴムシを入れた網のネジバナだけ、一部の花が受粉していた。ダンゴムシに付いていた土のせいか、ダンゴムシ入りの網のなかにはアリもいた。ダンゴムシかアリ、どちらかが受粉させたと思われる。
今回、キンランとギンラン、ネジバナのすべての観察で、花のなかにアリなどが入り込んでいる様子が観察できた。受粉が確認できたネジバナの観察では、花のなかのアリの体に崩壊した粉状の花粉塊が付いているのも確認できた。ギンランは自家受粉しかしないと論文にはあったが、アリなど小さな虫による送粉の可能性もあるかもしれない。そして、一部のランが花粉塊を崩壊させるように進化したのは、受粉を実現させる選択肢を増やし、受粉率を高めるためかもしれなかった。
仮説②の研究
赤色と白色の花の実験は2023年3〜8月、星薬科大学の薬用植物園や北の丸公園で行った。ネジバナはもちろんユキノシタ、ミズヒキなど、さまざまな花をカメラでインターバル撮影し、訪花する昆虫を観察した。
その結果、夜間や薄暗い場所で昆虫に対し目立つのは、やはり白い花だと思われた。ユキノシタには日中ハチやハエが来ていたが、夕方薄暗い時間帯になるとたくさんのカが集まった。だから、日中の送粉者に目立つ赤い花びらは上について、夕方活動するカに目立つ白い花びらは下側へ開くように進化したのではないか。
朝から昼までしか咲かないミズヒキの場合、おもな訪花昆虫はアリだった。薄暗い場所で咲くミズヒキは、上ってくるアリのために下側を白くしたのかもしれない。これまでの観察結果から、赤白の花と昼夜の訪花昆虫の関係は、植物全体に当てはまる科を超えた特徴かもしれなかった。
[審査員] 邑田 仁
本研究はネジバナの送粉に関して5年間継続されており、昨年「ネジバナの研究2019〜2020 〜新しい送粉者と送粉方法の発見〜」のタイトルで文部科学大臣賞を得た研究の継続研究である。昨年に引き続き、自動撮影カメラによってネジバナおよび比較対象とする植物への訪花生物を撮影し、膨大な数のデータを得ている。これを「ネジバナの特徴から探る様々な植物の進化 ~花粉塊崩壊と赤白の花の意味~」という大きな視野で考察しており、継続研究の発展の一方向として評価できる。しかし、考察に一般性をもたせるために行われている比較方法や論述については、さらに厳密さがもとめられるように思う。たとえば、花粉塊崩壊は花が古くなると促進されるということだが、その時期に送粉された場合にも花粉に発芽力があり、柱頭は感受性を保っているのだろうか?また、赤い花と白い花の比較に用いられた「白いユキノシタ」は雌蕊の形状や花弁の着色からみて別種ハルユキノシタではないかと思われ、本来の送粉者のスペクトルが違う可能性が否定できないと思われる。
ふじのくに地球環境史ミュージアム 准教授 早川 宗志
熊谷さんとの交流は、私が過去に実施していたネジバナ研究について教えてほしいという2年ほど前の熊谷さんからの連絡から始まりました。その後、Webや対面での研究相談を通じて、日本で最も身近なラン科植物であるネジバナにはまだまだ研究材料としての魅力と世に知られていない面白いストーリーが秘められていることに私自身も気づくこととなりました。この面白さは、研究者が誰も予想せず、気にかけてもいなかった、夜間に訪花昆虫は来ているのであろうか?という、熊谷さんらしい視点と発想だからこそ得られたものでした。本年度は、ネジバナで得られた結果を他の植物にあてはめて、次の仮説を考え検証するというプロセスを自身で実施しています。この仮説検証では、蚊に刺されながらも夕方や夜間の訪花昆虫調査を行うなど、忍耐強い現地観察を実施している点も評価できるものです。